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東京地方裁判所 昭和51年(行ウ)54号 判決 1980年2月19日

原告 金有植

被告 法務大臣 ほか一名

代理人 金沢正公 荒木文明 宮門繁之 ほか三名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた判決

一  原告

1  被告法務大臣が原告に対し昭和五〇年一二月二五日付けでした原告の出入国管理令四九条一項の規定に基づく異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す。

2  被告東京入国管理事務所主任審査官が原告に対し昭和五一年一月七日付けでした退去強制令書発付処分を取り消す。

3  訴訟費用は被告両名の連帯負担とする。

二  被告両名

主文と同旨

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

1  原告は、昭和五〇年一二月二日東京入国管理事務所入国審査官により、不法入国者としての出入国管理令(以下「令」という。)二四条一号に該当するとの認定を受けた。原告は、右認定について、同所特別審理官に対し口頭審理の請求をしたが、同所特別審理官は、同月九日右認定には誤りがない旨の判定をした。そこで、原告は、右判定について、被告法務大臣に対し異議の申出をしたところ、同被告は、同月二五日右異議の申出は理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をした。そして、被告東京入国管理事務所主任審査官は、右裁決の通知を受けて、昭和五一年一月七日原告に対し退去強制令書発付処分(以下「本件令書発付処分」という。)をした。

2  しかしながら、本件裁決には以下に述べるとおり裁量権の逸脱ないし濫用の違法があり、したがつてこれを前提としてなされた本件令書発付処分も違法である。よつて、本件裁決及び本件令書発付処分の取消しを求める。

(一) 原告は、昭和二三年七月二〇日本籍地の韓国慶尚北道永川郡新寧面華西洞九二〇番地において、韓国人の父金斗満、母朴順鉉の長男として出生した。父は、かつて日本に居住していたが、終戦後韓国に帰国し、朝鮮動乱の際三歳の原告を残して母と共に死亡した。父母を失つた原告は、母方の祖母李石兆と共に一五歳まで生活したが、極度の貧困で勉学の機会もなく、その毎日は飢餓線上をさまようなものであつた。その祖母も昭和三九年ころ他界し、韓国での唯一の身寄りを失つた原告は、しばらくは近所の畑仕事の手伝いなどをしていたが、半年位で村を出て当てどもなくさまよい、行き倒れ状態のところを鄭という人物に助けられた。原告は、父の姉で唯一の身寄りである金甲順が大阪府池田市に住んでいることを祖母から教えられ、その住所を記載した封筒を渡されていたが、そのことを鄭の父親に話したところ、しばらくして四〇歳位の男が現われ、同人から一緒に来れば池田市に行けると告げられ、昭和四〇年七月中旬同人に連れられて海路山口県下関市付近に不法入国した。しかし、池田市に尋ねる金甲順が居住していなかつたため、兵庫県伊丹市に居住する親戚の李隆の許へ連れて行かれ、同人方に住み込み、家業である養豚業を手伝つて約三年を過した。昭和四三年ころ、原告は、東京都大田区仲六郷一丁目五五番八号に居住する金甲順に引き取られ、以後同女方に住み込みながら、同女の長男李泰雨が経営する仲一製作所において旋盤工として働き、今日に至つているが、住居の方は後述の婚姻に伴い肩書住所地に変つた。その間、原告は、李泰雨らの勧めで昭和四九年一一月二〇日東京入国管理事務所に出頭して不法入国の事実を申告し、また、昭和五〇年四月八日から本件令書発付処分のなされた昭和五一年一月七日まで大田区立糀谷中学校第二部(夜間部)に学び、都築達郎教諭らの献身的努力により日本語等につき小学四年程度の学力をつけ、更に昭和五〇年八月ころ柳菊江と婚約したが、この婚約は本件令書発付処分により原告が収容されたため解消のやむなきに至つた。しかし、原告は昭和五一年一二月二〇日右の都築達郎夫妻と養子縁組をなし、仮放免後の昭和五四年九月一四日には権栄子と婚姻した。権栄子は、韓国籍ではあるが、日本生れの日本育ちで、韓国を知らない。

(二) 原告が本邦に入国するに至つた事情及び入国後の生活関係等は以上のとおりであるが、次のような点を総合するとき、原告の本邦在留を否定する本件裁決は違法といわなければならない。

(1) 原告は昭和四〇年七月中旬ころ本邦に不法入国したが、無学文盲で日本と韓国の区別も定かでなく、韓国に頼れる身寄りも財産も持たない一七歳の原告にとつて、唯一の身寄りである伯母を尋ねて本邦に入国した行為は、やむを得ざるに出た行為であり、また違法性の認識を欠く行為である。

(2) 入国後の原告は、極めてまじめに勤労と勉学の毎日を送り、入国以来何らの違法行為も犯さず、不法入国の件についても東京入国管理事務所に自首している。

(3) 特に、原告は、日本に来て糀谷中学校第二部に入学することにより、生れて初めて勉学の機会を得たものであり、人並みの人間として生きていくために不可欠な最低限度の知識教養を得るため、なお勉学の継続を必要とし、かつそれを熱望するものであつて、原告から勉学の道を奪うべきではない。

(4) 原告は、朝鮮語の読み書きができない上、韓国内に身寄り、財産等を有しておらず、韓国においては経済的に生活を維持し人間としての文化的生活を享受することが不可能である。原告の妻権栄子も、日本生れの日本育ちで、韓国を知らない。一方、日本には伯母の金甲順らがおり、原告は同女の長男が経営する仲一製作所に勤務する傍ら、都築達郎夫妻と養子縁組をなすとともに、権栄子と結婚し、既に安定した生活基盤を築いているものである。

(5) その上、原告は、かつて日本の朝鮮植民地化政策により日本国民たることを強制された者の子である。日本が明治四三年以来朝鮮を植民地として併合支配し、その結果として原告の父や伯母らは日本の戦争遂行のための労働力として日本で働くこととなり、一家を挙げて日本に移住してしまい、父母及び祖母を失つた今日、原告の身寄りは韓国に全くおらず、すべて日本に在留して永住権を有するという結果になつてしまつたものである。このような原告を一般の外国人と同様に扱うことは昭和二〇年九月二日以前から引き続き日本に在留している朝鮮人及び台湾人が日本に在留できることを認めた「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸命令の措置に関する法律(昭和二七年法律一二六号)」、右の朝鮮人及び台湾人の子が日本に在留できることを認めた「特定の在留資格及びその在留期間を定める省令(昭和二七年外務省令一四号)」及び昭和二〇年八月一五日以前から引き続き日本に在留する韓国人とその直系卑属などについて申請により永住許可を与えることを認めた「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定の実施に伴う出入国管理特別法(昭和四〇年法律一四六号)」、並びに、現に日本に居住する夫婦、親子、兄弟姉妹等近親関係の一方が他方を朝鮮、台湾から呼び寄せた場合等に、その呼び寄せられた者に在留許可を与えるよう要請した衆議院法務委員会外国人の出入国に関する小委員会の昭和二九年七月一四日付け決議「外国人の不法入国者取扱について」の趣旨に照らし許されない。

(6) また、昭和三〇年から昭和四八年までの令四九条の異議申出四四、四四四件のうち約七四パーセントに当たる三二、九二七件について、令五〇条の在留特別許可が認められ、在日親族を頼つて不法入国してきた原告のような立場の韓国人に対しては、原則として在留特別許可が与えられているという行政先例に照らし、平等取扱いの原則からして原告にも当然在留特別許可が与えられるべきである。

(7) 原告が現在世話になつている従兄の李泰雨は、朴政権に反対する反国家的言動を行い、朝鮮総連加盟員と共に共同集会を開くなどの反国家的行為をしたとして、在日本大韓民国居留民団より除名処分を受けた。原告に在留特別許可が認められなかつたのは、原告が韓国に帰されることにより李泰雨の行動が制約されるであろうし、それが韓国政府の望むところでもあろうとの、被告法務大臣の推測に基づく配慮が働いた結果としか考えられない。このような政治的配慮を、場合によつてはそれが原告の生命にも影響しかねないという国際情勢の中でなし、ある意味では人質として原告を韓国へ強制送還するという措置は、裁量権の濫用といわざるを得ない。

二  被告両名の請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  請求原因2の(一)の事実のうち、原告が、その主張するように韓国において出生し、幼時両親が死亡したため母方の祖母の許で生活し、昭和三九年ころ同女も死亡したため、昭和四〇年七月中旬ころ下関市付近に不法入国し、まず親戚の李隆方に住み込み養豚業を手伝つて生活し、昭和四三年ころ伯母の金甲順に引き取られ、同女の長男李泰雨の経営する仲一製作所に旋盤工として勤務し、昭和四九年一一月二〇日東京入国管理事務所に出頭して不法入国の事実を申告し、昭和五〇年四月八日大田区立糀谷中学校第二部に入学し、昭和五一年一二月二〇日同校教諭の都築達郎夫妻と養子縁組し、昭和五四年九月一四日韓国籍の権栄子と婚姻して肩書住所地に移つた事実は認め、柳菊江と婚約した事実は否認し、その余の事実は知らない。

3  請求原因2の(二)のうち、(6)の昭和三〇年から昭和四八年までの異議申出件数及びこれに対する在留特別許可件数が原告主張のとおりであることは認めるが、その余の主張は争う。

三  被告両名の主張

1  法務大臣は、令四九条三項の規定に基づき異議申出に対し裁決するに当たり、異議申出人が令二四条の各号の一に該当するか否かについてのみ判断することとされており、異議申出人の個人的事情に基づき裁量を行う余地はなく、主任審査官も、右裁決が確定したときは退去強制令書を発付しなければならず、発付するか否かについて裁量を行う余地はない。原告が日本に不法入国したことは争いのない事実であるから、原告が令二四条一号に該当するとした本件裁決の適法であることは明白であり、それに基づきなされた本件令書発付処分にも何ら違法はないものといわなければならない。原告は、被告法務大臣において在留特別許可を与えなかつたことが本件裁決の違法事由になると主張するが、令四九条の異議申出に対する法務大臣の裁決と令五〇条の在留特別許可の許否とは、それぞれ別個の処分であり、在留特別許可を与えなかつたことが裁決の瑕疵となるかのような主張は失当である。

2  仮に、在留特別許可の許否の裁量を誤つたことが裁決の違法事由になる場合があり得るとしても、本件においては何ら裁量を誤つた違法はない。令五〇条の規定に基づく在留特別許可は、異議申出人の個人的事情のみならず、国際情勢、外交政策等一切の事情を総合的に考慮した上決定されるべき恩恵的措置であつて、その裁量の範囲は極めて広く、法務大臣がその責任において裁量した結果は十分尊重されるべきである。

3  原告は、在留特別許可が当然与えられるべきであると主張し、その理由や具体的事情を挙げるが、いずれも次に述べるとおり失当である。

(一) 原告は、本邦に不法入国した行為はやむを得ざるに出た行為であると主張するが、祖母の死亡から不法入国までの間、原告は韓国の遠戚等の許で生活していたのであり、日本に不法入国する以外に手段がなかつたとは認められない。

(二) 原告は、本邦入国後の生活態度が極めてまじめで何らの違法行為も犯していないと主張するが、原告は我が国の法を犯して不法入国し、これまで潜伏居住を続けていた外国人であり、その日本在留自体が違法なのであるから、そのことを度外視し、表面的な在留状況のみを摘示して、その生活態度が良好である等と主張すること自体、前提において失当である。

(三) 原告は、生存のため最低限の学業を継続する必要があると主張するが、原告は不法入国者で日本に在留すること自体が違法であるから、その在留は全く保護さるべき理由を有しないものであり、不法入国し退去強制の手続中に入学手続をとり教育を受けたことがあつたとしても、それは不法入国という違法行為を基礎として形成された利益にすぎず、早晩清算を余儀なくされることが当初から客観的に予定されている性質のものである。このように違法な在留を継続中に開始された勉学が、退去強制により断たれることがあつたとしても、それを理由に在留特別許可を与えないことの違法をいうのは筋違いの論というほかなく、その上、本国において母国語等の勉学が不可能という理由は全くない。

(四) 原告は、朝鮮語の読み書きができず、生活基盤のない韓国において生活を維持することは不可能であると主張するが、既に成人となり、昭和四三年以来一貫して従事してきた旋盤工としての技術を身につけた現在、本国において生計を立てていくことが不可能とは到底考えられない。また、原告が都築達郎夫妻と養子縁組をなし、権栄子と婚姻したのは本件裁決後のことで、本件裁決の当否を判断するのに斟酌すべき事柄ではなく、また、右養子縁組及び婚姻の事実をもつて在留を許可すべき理由はない。権栄子において旅券を取得し本邦から出国し、原告とともに本邦外で生活の場を形成することはもとより可能であり、同女が日本生れの日本育ちであるとしても、そのような理由のみで本邦においてしか家庭生活を営みえないとする理由はない。

(五) 原告は、朝鮮と日本との歴史的特殊事情等に照らし、原告を他の一般外国人と同様に扱うことは許されないと主張するが、朝鮮半島出身者の扱いに関しては、原告も指摘のとおり、既に昭和二七年法律一二六号の制定等所要の措置がとられているところ、原告はそれらのいずれにも該当しないのであるから、右主張は失当である。

(六) 原告は、他の行政先例と比較しても、原告には在留特別許可が与えられて然るべきであると主張するが、在留特別許可は前記のとおり諸般の事情を総合的に考慮した上で個別的に決定されるべき恩恵的措置であつて、その許否を拘束する行政先例ないし一義的、固定的基準なるものは存しない。

(七) 原告は、従兄の李泰雨の行動との関係で被告法務大臣の推測に基づく配慮が働き、在留特別許可が与えられなかつた旨主張するが、右は原告の全くの憶測にすぎない。もし、原告が韓国に帰ることを望まず、朝鮮半島のうち韓国政府の有効な支配、管轄の及んでいない地域へ向け日本から退去することを希望するならば、それも可能である。

第三証拠 <略>

理由

一  請求原因1の事実については、当事者間に争いがない。

二  原告は、原告に在留特別許可を与えなかつた本件裁決には裁量権の逸脱ないし濫用の違法があると主張するのに対し、被告両名は、令四九条の規定に基づく異議申出に対する法務大臣の裁決と令五〇条の規定に基づく法務大臣の在留特別許可とはそれぞれ別個の処分であり、在留特別許可を与えなかつたことが裁決の瑕疵となるものではないと抗争するので、まずこの点について判断する。

確かに、令四九条の規定に基づく異議申出についての理由の有無の判断と令五〇条の規定に基づく在留特別許可の許否の判断とは、一応区別して考え得るが、令五〇条の規定によれば、在留特別許可の許否の判断は異議申出についての裁決に当たつてなされるものであり、法務大臣において在留特別許可を与える場合には異議申出を棄却せず、逆に在留特別許可を与えない場合には異議申出を棄却する旨の裁決を行うものであるから、在留特別許可を与えなかつたことに何らかの違法が認められる場合には、右許可を与えることなく異議申出を棄却した裁決も結局違法性を帯びるものとして、その取消しを求め得ると解すべきである。そして、この場合には、右違法な裁決に基づきなされた退去強制令書発付処分もまた違法というべきである。

三  そこで、本件裁決が違法か否かについて判断する。

1  次の事実については、当事者間に争いがない。

原告は、昭和二三年七月二〇日本籍地の韓国慶尚北道永川郡新寧面華西洞九二〇番地において、韓国人の父金斗満、母朴順鉉の長男として出生し、幼時父母と死別したため、母方の祖母李石兆の許で生活し、昭和三九年ころ同女の死亡した後は近所の畑仕事の手伝いなどをし、昭和四〇年七月中旬ころ(当時一七歳)山口県下関市付近に不法入国した。原告は、まず兵庫県伊丹市に居住する親戚の李隆方に住み込み、その家業である養豚業を手伝つて生活し、昭和四三年ころ東京都大田区仲六郷一丁目五五番八号に居住する父の姉の金甲順に引き取られて同女方に同居することとなり、以後同女の長男李泰雨が経営する仲一製作所において旋盤工として働き、今日に至つているが、住居の方は後述の婚姻に伴い、肩書住所地に変つた。その間において、原告は、昭和四九年一一月二〇日東京入国管理事務所に出頭して不法入国の事実を申告し、昭和五〇年四月八日から本件令書発付処分のなされた昭和五一年一月七日まで大田区立糀谷中学校第二部に学んでいた。そして、同年一二月二〇日都築達郎夫婦と養子縁組をなし、昭和五四年九月一四日韓国国籍の権栄子と婚姻した。

2  <証拠略>によると、次の事実が認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。

原告の父金斗満は、かつて日本に居住していたが終戦後韓国に帰国し、原告が三歳ころの朝鮮戦争中に母朴順鉉と共に死亡した。その後の原告と祖母李石兆の生活は困窮を極めるものであり、近隣の農家の野良仕事の手伝いで得た食物を食べ、わらぶきの小屋の中で土間にぼろを敷き、植物の種子から得た灯油の火を頼りにするという暮らしで、文字に接する機会はなく、そのため原告は今日も朝鮮語の読み書きができないでいる。原告は、祖母死亡後も近所の野良仕事の手伝いで食物を得ていたが、半年位で村を出て当てどもなくさまよい、行き倒れ状態のところを鄭という人物に助けられ、その後約半年間は同人方で畑仕事、牛の世話等をして暮らすことになつた。原告は、父金斗満の姉である金甲順が大阪府池田市に住んでいることを祖母から教えられ、その住所を記載した封筒を渡されていたので、そのことを鄭の父親に話したところ、しばらくして四〇歳位の男から一緒に来れば池田市に行けると告げられ、同人に連れられ本邦に入国し、池田市に尋ねる金甲順が居住していなかつたため、同女の夫の甥の子に当たる李隆の許に連れて行かれた。原告は、その後金甲順方に引き取られ同女の長男李泰雨の経営する仲一製作所に旋盤工として勤務するようになつてからは、月給約七万円を支給され、食事代等を差し引いた手取金約五万円を毎月交付されていた。昭和四九年に入り、金甲順から原告の不法入国の事実を知らされた李泰雨は、在留特別許可を受けられることを期待して、原告に対し入国管理事務所への自首を勧め、原告は同年一一月二〇日東京入国管理事務所に出頭して不法入国の事実を申告したことから、本件の退去強制手続が開始されるに至つた。また、原告は、昭和五〇年四月から入学した糀谷中学校第二部において、都築達郎教諭らの指導を受け、本件裁決時までに小学三年程度の国語等の学力をつけ、昭和五一年一月七日収容された後も、同教諭の献身的な指導で文通による勉強を続け、昭和五三年半ばころ仮放免されて同校に復学し、今日では中学三年程度の国語の学力をつけている。なお、原告は韓国において頼るべき身寄りも財産も有しておらず、仮放免後に結婚した権栄子も、韓国籍ではあるが日本生れの日本育ちで韓国を知らない。

3  以上述べたとおり、原告の在韓時代の生活は幼時より惨めなものであり、孤児となつた原告が十分な判断力もないまま自己の頼れる唯一の親族として伯母金甲順を尋ねて本邦に入国した事情には、酌むべきものがある。入国後の原告は金甲順方に引き取られて初めて文化的生活に触れ、まじめな勤労の毎日を送る一方、糀谷中学校第二部に入学することにより、二六歳にして初めて勉学の機会を持つに至つた。そして、金甲順、李泰雨らの援護の下で旋盤工として安定した生活をし、原告のため献身的に面倒をみてくれた都築達郎夫婦と養子縁組を結ぶとともに、権栄子と結婚して、家庭を持つに至つている。このようにして得られた生活の基盤は、本件令書発付処分の執行によつて一挙に失われるのであり、しかも、原告が朝鮮語の読み書きができず、韓国に頼るべき身寄りも財産も有していないことからすれば、今後韓国で新しい生活を築くことにつき相当の努力を強いられ、権栄子との結婚生活にも影響を受けることが明らかで、本件裁決及びそれに伴う本件令書発付処分が原告に対し相当の苦難を与えるものであることは、容易に想像できるところである。

しかしながら、翻つて考えるに、朝鮮語の読み書きができないとはいえ、原告は一七歳ころまで韓国で生活していたものであり、経済的には金甲順、李泰雨らからの送金等による援助も可能であり、旋盤工としての経験を積み一応の勉学の手ほどきを受けた青年男子が、その母国に帰ることにより直ちに生存権を脅かされるものとはたやすくいえることではない。原告がようやくにして人並みの幸せを得るに至つていることは前記のとおりであるが、原告の日本における生活関係は、もともと不法入国という違法行為の上に築かれたものであり、仮に原告主張のとおり原告には当時不法入国についての違法性の認識がなかつたとしても、不法入国の事実が発覚すれば前記の生活関係を清算すべき事態になることはその後においてある程度予期し得たはずである(不法入国者に対する退去強制は主観的な責任を問うものではないから、自首の事実もそれだけで特段の斟酌をすべきものとはいいがたい。)。特に、原告と都築達郎夫妻との養子縁組及び権栄子との婚姻は、本件裁決後のことで、本件裁決の適否を判断する上において本来考慮できないことであるというほかなく、その点は、第一次的には、被告法務大臣が広く諸般の情況を併せ検討して合理的な対応を決すべき責務を負う事柄である。そして、原告が権栄子との結婚生活を継続するために、送還された後においても所定の手続を経て本邦に再び入国することは可能であり(ただし、令五条一項九号の規定により、退去強制後一年間は入国拒否の対象となる。)、権栄子において本邦を出国し原告の許に赴くことについても、何らの法的障害は存しない。原告の望む勉学の継続も、努力すれば韓国においてももとより可能である。

以上の諸事情を総合して考えれば、原告に在留特別許可を与えなかつた本件裁決は、原告にとつてははなはだ厳しいものではあるが、いまだ人道に反するとか正義にもとるものとはいえず、被告法務大臣に認められた裁量権の範囲内においてなされたものというべきである。

4  原告は、異議申出人の約七四パーセントに対して在留特別許可が与えられ、在日親族等を頼つて不法入国してきた原告のような立場の韓国人に対しては原則として在留特別許可が与えられるという行政先例が存するにもかかわらず、原告に対しこれが与えられなかつたのは、従兄の李泰雨の反朴政権的言動等を考慮した被告法務大臣の政略的判断によるものである旨主張する。

昭和三〇年から四八年までの令四九条の異議申出四四、四四四件のうち約七四パーセントに当たる三二、九二七件について在留特別許可が与えられていることは当事者間に争いがないが、右許可が事案ごとに諸般の事情を総合的に検討して個別的に決定される性質のものであることに徴すると、右事実から直ちに原告主張のような一般的な行政先例が成立していると認めることはできない。

更に、<証拠略>によると、原告の従兄である李泰雨は、昭和四八年一二月四日在日本大韓民国居留民団東京地方本部により、反民団、反国家的活動を行つたとして除名処分を受け、そのことが同民団関係の新聞に報道された事実が認められる。しかし、右事実から、被告法務大臣が李泰雨の右除名処分を考慮に入れた結果、原告に対し在留特別許可を与えなかつたものと推認することは困難であるし、また李泰雨の言動のために原告自身が韓国において重大な報復措置を受けるおそれがあるものと認めるに足りる証拠もない。

5  その他、原告において主張する日韓の歴史的特殊事情、韓国人の日本在留に関してとられた立法措置等の趣旨を考慮してもなお、被告法務大臣が原告に対し在留特別許可を与えなかつたことにつき、裁量権の逸脱ないし濫用があつたとはいえず、結局、本件裁決には原告主張の違法は認められない。

四  そうすると、本件裁決を前提としてなされた本件令書発付処分にも違法はないものといわなければならない。

五  よつて、原告の本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条及び民事訴訟法八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 佐藤繁 泉徳治 菊池洋一)

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